特集愛知の底力
2025.10.28
ごま油の底力で江戸っ子の腹を満たした天ぷら屋台。そのおいしさを支えたのは、先人のごま油の知恵
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食を満たす
屋台が建ち並び、庶民の腹を満たした江戸の町。天ぷらはそのなかでも大人気でした。天ぷら屋台がではじめたのは江戸後期の安永年間で、「胡麻揚げ」と書かれたり、「天麩羅」と書かれたり。もっぱらごま油で揚げていたといわれます。当時は同じ油で何日もくり返し揚げたでしょうから、酸化に強いごま油を選んだ先人の知恵はたいしたものです。
ちなみに、同じく屋台のそば屋と隣同士で店をだし、そばの上に天ぷらをのせて食べたのが、天ぷらそばの走りとか。茶漬屋でも天ぷらのトッピングが流行ったそうです。

江戸前芝浜※の海原大さんに再現してもらった、江戸時代の屋台の天ぷら。天種は江戸前で豊富にとれた魚介類で、穴子、芝海老、キス、メゴチ、小肌、スルメイカ、サザエ。当時の本などをみると、立ち食いで食べやすいように串にさした天ぷらが多かったようで、銘々が大きめの鉢に入った天つゆにドボンと浸し、大根おろしをのせて食べたとか。1串はだいたい4文ほど(50円程度目安)で、庶民も気軽に天ぷらを楽しんでいた。竹皮に包んでテイクアウトも。
※「江戸前芝浜」の記事はこちら
江戸呑みの粋は酒菜にあり。「江戸前芝浜」の海原さんと、ごま油が香る江戸の美味5品でタイムトリップ

灯油が普及すると、屋台の夜間営業がはじまった。天麩羅、焼きスルメイカ、四文屋(4文均一のおかず屋)の屋台が並ぶ風景は何ともおいしそう。

江戸時代の天ぷらを伝える有名な浮世絵。天ぷらといえば串だったようで、箸ではなく串にさして食べている。
参考資料/「鍬形蕙斎画 近世職人尽絵詞:江戸の職人と風俗を読み解く」大高洋司・小島道裕・大久保純一編(勉誠出版)
「天丼 かつ丼 牛丼 うな丼 親子丼 日本五大どんぶりの誕生」飯野亮一(筑摩書房)
出典/上絵:鍬形蕙斎原画ほか『職人盡繪詞』第1軸(部分)、和田音五郎模写(国立国会図書館デジタルコレクション)
下絵:芳年「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎の風俗」綱島亀吉(国立国会図書館デジタルコレクション)
(2025年秋の号掲載)
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